社会の冷たい風を実感したからこそ今がある。女優菊池桃子【前編】
出典:http://www.parfit.co.jp/artist/momoko/
今回は女優、タレント、ナレーターでありながら大学教員、「1億総活躍国民会議」の民間議員にも起用されるまでになった菊池桃子さんの進化し続ける生き様を追います。
ワタシのあの頃
いまがそのとき。チャンスとタイミングを見極めて
東京で生まれた菊池桃子さんは、スカウトを経て芸能界に入ります。
愛らしいルックス、ソフトな語り口、控えめで優しい人柄で世代を越えて愛されるようになった菊池さんは、1980年代を代表するアイドル歌手の一人になりました。
その後、菊池さんはロックバンド「ラ・ムー」を結成します。
清純派イメージの強かった菊池さんのロックグループへの転身。
当時は非常に画期的な試みで、アイドル時代の一部ファンは戸惑ったといいます。
デビューから同じ音楽スタッフで続けていて、「こういう時代にはこういうのが良いだろう」「今度はこんな感じはどうだろう?」と導いていただいたので、私としてはすごく自然な流れでした
出典: http://trendnews.yahoo.co.jp/archives/375364/
父親と「学校に行くこと、学業に支障が出ないスケジュールであること」を約束して入った芸能界でしたが、大学卒業を機に働き方も変わりました。
芸能活動できる時間が増えたこともあり、連続ドラマに連続出演するようになったのです。
女優のお仕事って年代年代で違った役が来るので、自分でも夢中になってしまいました
出典: http://trendnews.yahoo.co.jp/archives/375364/
父親との学校にきちんと行き、学業に支障の出ないようにするという約束をきちんと守ったり、日本武道館でのコンサートでは、ビートルズの公演の観客動員数を抜き(二万二千人超)となるなど、人気絶頂の清純派アイドルだったにもかかわらず、世間の目より、ロック歌手という自分のやりたい道を進むなど、菊池さんは芯のしっかりした女性でした。
そのとき、そのときを真剣に生きる菊池さんだからこそ、人々の心をつかんで離さないのでしょう。
変わったきっかけ
障がいのある長女の子育てを通して持ち始めた問題意識が、私の生きる道を変えた
結婚して1男1女の二人の子どもに恵まれた菊地さんでしたが、のちに離婚し、シングルマザーの道を歩みはじめます。
ひとり親での子育ては大変なことですが、菊地さんはさらなる子育ての壁に直面することに。
乳児期に脳梗塞を患い、手足に麻痺の後遺症が残った長女が中学校に進学する際、多くの学校から受け入れを断られるなど、菊池さんは厳しい現実を突きつけられたのです。
健常な子と比べると、学ぶ場所が圧倒的に少ない。子どもはいつも『ママ、次はどうすればいい?私はどうなるの?』と質問してくる。きちんと答えられない自分がすごくもどかしかった
出典:http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2016/01/0108.html
そこで、障がいのある娘が将来自立する方法を考えた菊池さんは、雇用政策を学ぶことで見つけ出せないかと思い、39歳で大学院へ進学します。
自分自身のためだったら、そこまで努力しない。母親としては泣いてる場合じゃない、つらいと思っている場合でもない
出典:http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2016/01/0108.html
いまを変えるために、自らが立ち上がった瞬間です。
菊池さんの新たな挑戦には、母親としての強さを感じます。障がいのある娘さんの自立のために、雇用政策を思いつくまでには、長い手探りの状態があったことでしょう。その不安を打開すべく、前へ前へと進む菊池さんのエネルギーには、目を見張るものがあります。
(山庭さくら)
▶▶【後編へ続く】:だれもが社会の輪の中で生きられるように。女優・菊池桃子【後編】
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+