一番がベストではない。一番大切なことは「自分のペース」。元マラソン選手・松野明美【前編】
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今回はオリンピックマラソン選手として選考から漏れた辛さを乗り切り、ダウン症のお子さんをもつ母として、政治家として活躍する松野明美さんの生き方を見つめます。
ワタシのあの頃
「いちばんになることがわたしのすべてでした」というあの頃
現役時代、身長147cm、体重35kgだったという松野さんは、ニコニコドーの実業団の女子陸上部に所属し、岡田監督の指導の下、国体に優勝するなど実績を積んでいきました。
月間1000キロ以上走り込む努力家だった彼女は、そのうち拒食症・過食症を繰り返し、監督に「休めるときは休め」と声をかけざるをえないほどの練習の鬼となったといいます。
ソウルオリンピック女子10000m日本代表として出場した松野さんでしたが、1991年の世界陸上東京大会後にマラソンへの転向を表明。国内選考レースで記録が良かった彼女は、バルセロナ五輪の女子マラソン代表になるつもりでいました。
ところが、その選考はマスコミを巻き込む大騒動となり、陸連には松野さんの出場を求める何百もの嘆願書、署名、ファクスが連日届きました。しかし選ばれたのは、国内選考レースにも出ず、自分よりも記録の悪かった有森裕子選手だったのです。
スポットライトを浴びる有森選手を目の当たりにした松野さんは、心身ともに想像以上のダメージを受けます。
体は正直だった。ほんの5分間さえも走れないほどの状態が2カ月間も続いたんです。走り始めても、こんなに苦しい練習をして、ちゃんと結果も出してきたのに実らない‥‥と思うと、涙が出てきて(体が)止まってしまう。
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オリンピック・イヤーになると、あの頃のことをふと思い出します。涙が枯れるほど泣いたことや、金メダルを獲っていれば人生が変わっただろうなという思いがよぎったり、落選した本当の理由は何だったんだろうとか‥‥。
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正々堂々と戦って選ばれなかったのなら諦めはついたのでしょうが、そうではなかっただけに、松野さんの悔しさは計り知れないものでした。
女性のマラソンランナーとしての寿命は男性よりも短く、その上、この時期、絶頂期だった松野さんにとって最初で最後のオリンピック。そこに焦点をあてて死に物狂いで練習してきた松野さんが失ったものは、あまりにも大きく、彼女の心に深い闇を作りました。
変わったきっかけ
次男のダウン症を公表し、正面から向き合ったことで見えた生き方
マラソンを現役引退した松野さんは、結婚。講演、女子駅伝の解説などを行う一方で、おしゃべり好きなタレントとして活躍します。このときにも、マラソンと同じ“いちばん”を目指しました。
「『松野は空気を読まずにほとんどの笑いを持っていく』と芸能界の大御所と呼ばれた方に怒られたこともあります。それでも、出るからには目立ちたかった。プロのお笑い芸人にも勝たなければならない。すべてが勝負につながっている」
出典: http://www.j-cast.com/2015/04/13232914.html?p=all
2人の男の子に恵まれた松野さんでしたが、明るいキャラクターとしてのイメージを壊さないために、ダウン症の次男を一生隠そうと考えます。
なんでこの子を産んでしまったのか」という思いにとらわれてもんもんとしてしまう日々。この子の存在を世間に隠さなければ、私自身が「負け」を認めたことになる…。
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ある日、松野さんは、自宅に遊びに来たことのある高校の後輩に『保育園に行く前に療育を受けたほうがいい』とアドバイスを受けます。
そうして、次男は、児童デイサービス事業所に通い、障がい児の専門家である先生たちとマンツーマンの指導を受けることになりました。通い始めると、次男に驚くべき変化が起こり、その次男を通して、松野さんは大事なことを学びます。
競争で勝つことしか頭になかった私に健太郎は、「自分のペースで走ることが一番大切」であることを教えてくれたのです。彼の存在がなければ、私は人間として本当に大切なものに気づかないで過ごしてしまったはずです。
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『いちばん以外は2番もビリも同じ。人生は勝ってこそ意味がある』と思いながら、厳しい毎日を送ってきた松野さんにとって、頭では分かっていても次男の成長の遅さは辛かったことでしょう。何度か声を荒げ、そんな自分を責める日があったことは想像に難くありません。 (山庭さくら)
しかし、次男とともに成長した松野さんは、それがきっかけで政治の道を歩むことになるのですから、人生とは不思議なものです。
▶▶【後編へ続く】苦しくなったら、一休み。政治の世界でも活動開始。元マラソン選手・松野明美【後編】
〈 次回は6月3日(水)更新予定です 〉
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+