タカラジェンヌ・うたのおねえさんを経て、歌手として羽ばたき続けるはいだしょうこ【前編】

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出典:http://www.horipro.co.jp/haidashoko/

今回は、タカラジェンヌとして活躍後、NHK「おかあさんといっしょ」のうたのおねえさんとして人気を博し、現在はミュージカルにコンサートにと活躍の場を広げるはいだしょうこさんの、歌い続ける原動力と、彼女が見つけた新しい幸せについて見つめます。

ワタシのあの頃
音楽ファミリーに育ち、幼いころから童謡歌手として活躍。そして宝塚へ

はいださんは、1979年に東京都立川市で生まれ。

父は国立音楽大学で教鞭をとり、母は声楽家という音楽一家で育ちました。

舞台に立つ今の姿からは想像できませんが、幼いころは人見知りで、おしゃべりも苦手、引っ込み思案な女の子だったそうです。そんなはいださんですが、両親の愛情をたっぷりと受け、のびのびと成長します。

 いつも「自分の好きなことをすればいいよ」と言われて育ちました。(中略)父親が子ども好きで、子育てにもたくさん関わってくれていました。家族全員とても仲良しで、父の伴奏でみんなで歌ったり、舞台を見に行ったり、とにかく会話の多い家族でしたね。
出典:http://enfant.living.jp/mama/interview/17989/

両親は娘の性格をありのままに受け入れ、はいださんが一番自分らしくいられる場所は「音楽の世界」だと、いち早く理解していました。

両親が「この子が自信をもって表現できるのは歌だ」と気付いてくれたんですね。出典:http://enfant.living.jp/mama/interview/17989/

そんな両親の後押しもあり、小学生のころに「全国童謡コンクール」に出場。見事グランプリを受賞し、『めだかの学校』や『ちいさい秋みつけた』で知られる作曲家・中田喜直さんに才能を見出されます。

その後は中田さんに師事し、童謡歌手として舞台に立つようになりました。

そんな時でも、先生は怒鳴ることがなかった。(中略)そのおかげで、萎縮することなく、次のステージで伸び伸びと歌うことができ、そして、先生の姿を見て、プロとして、ステージに立つことがどれだけ大変なのかを子供ながらに学んでいけたように思います。出典:http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/165735/3

その後、成長をしたはいださんは高校2年のときに、難関の宝塚音楽学校に合格します。

卒業後は「千琴ひめか」の芸名で、娘役として活躍。デビューして3年という異例の速さで『ベルサイユのばら』のエトワール(パレードで歌い始める重要な役)に抜擢されました。

宝塚でも抜群の歌唱力と称えられ、5年間舞台に立ち続けたのです。

しかし、規律や上下関係が厳しいことで知られる宝塚の世界。おとなしい性格のはいださんには、つらいことも少なくありませんでした。

厳しいって言うのは聞いていたんですけれど、芸事の厳しさかなと思ったら、上下関係だったり、しきたりだったり、規律だったり。最初はそれにすごくびっくりしました。
出典:http://www.tamatebakonet.jp/interview/detail/id=189

 引っ込み思案で人見知りな性格を受け止めてくれた両親、そして恩師の愛情に包まれて育ったはいださん。
宝塚時代は歌唱力を評価されていましたが、トップスターとなることはありませんでした。
女性ばかりの競争社会では、つらい仕打ちや、頂点に立てない日々に泣いたことも多かったでしょう。
しかし、そんな時代があったからこそ、彼女の原点ともいえる「童謡の世界」で羽ばたく道が拓けたのです。

(こうのまちこ)

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+
【参考記事】

あんふぁん
日刊ゲンダイ:歌手はいだしょうこを育てた大作曲家・中田喜直の金言
多摩てばこネット:時の人インタビュー「一度きりの人生、精一杯生きたい」
livedoorNEWS:はいだしょうこの過酷なNHK時代

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