一念発起でふたたびスポーツの世界へ。義足のアスリート・佐藤真海【前編】

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出典:http://blog.livedoor.jp/mami_sato/

 今回は、学生時代に骨肉腫を発症、右脚膝下を切断するも、義足をつけての陸上競技をスタート。パラリンピック出場を果たした佐藤真海さんの、東京オリンピック招致プレゼンで世界を魅了した笑顔の秘密を見つめます。

ワタシのあの頃
早稲田のチアリーディングで活躍中、突然襲った骨肉腫。命と引き換えに失った右足

 佐藤さんは、1982年に宮城県気仙沼市で生まれ。幼いころから水泳に親しみ、中学生からは陸上部で活躍。活発な女の子でした。
 もちろん勉強にも励み、祖父、父の母校であり、憧れだった早稲田大学に現役で合格しました。
 
 長年の夢をかなえ、チアリーダーとして活躍していた佐藤さんですが、大学三年生のとき、彼女の脚に異変が起こります。
 
 宣告された病名は「骨肉腫」
 命を救うためには、発症した右足を切断しなければならないという、スポーツが生きがいの彼女にとって残酷なものでした。

「頭を割られるような思いだった」
出典:http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2008a/1153/153i.html

 それでも佐藤さんは、チームメイトや友人の前では気丈にふるまったそうです。
 
 でも、抗がん剤治療は非常に過酷で、切断手術後も失った脚に痛みを感じるなど、苦しみは続きました。
 そんな彼女を支え続けたのは家族やチームメイトの思いでした。
 チームメイトは、ひとつひとつメッセージを書いた千羽鶴を折り、病床の佐藤さんに贈ってくれたそうです。

 佐藤さんも、手術後すぐに前向きな気持ちを取り戻したわけではありませんでした。 

 足の切断前、医師に「ない足をさらけ出すのは嫌だ」と話したことがある。医師に「それはあなたが障害者に対してそういう意識を持っているからでしょ」と諭された。
出典:http://mainichi.jp/feature/news/20130907org00m040005000c.html

 スポーツできる場所を探したとき、自分が「障害者」になったことを痛感したそうです。
 そのようなつらい現実は彼女に、障害をもつ人も、それぞれの「普通」を生きていることを教えてくれました。
 その気付きが、彼女の中にあった限界という壁を打ち壊すパワーとなったのです。

変わったきっかけ
ふたたび戻ったスポーツの世界。陸上競技に出会い、パラリンピックの舞台へ

 佐藤さんは小学校のころに励んでいた水泳から、スポーツの世界に戻りました。
 そしてスポーツによる出会いの輪が広がり、義足をつけて走る陸上競技に挑戦することに。

「これまで私はスポーツで目標をつくり、達成することで充実した日々を過ごしてきた。また、スポーツを始めてみようか」。
出典: http://mainichi.jp/feature/news/20130907org00m040005000c.html

 右足を失ったのは2002年の春、陸上競技に出会ったのはそのわずか1年後でした。
 
 それからたった1年半後、なんとアテネで行われたパラリンピックの舞台に立ったのです。
 そのときは僅差で決勝進出を逃しましたが、陸上競技への手ごたえを感じました。
 
 その後も北京、ロンドンとパラリンピックに出場、北京では見事6位入賞を果たしました。
 また大学卒業後は、サントリーへの入社が決まり、社会人として明るい道を歩み始めることになったのです。

  
佐藤さんの魅力は「まみスマイル」と呼ばれる、弾けるような笑顔です。
早稲田大学で打ち込んでいたチアリーディングは、応援の花形。彼女の笑顔はその時代につちかわれたものです。
抗がん剤治療や右足切断など、彼女には笑顔を失ってもおかしくない、つらい日々が続きました。
 
 それでも、佐藤さんは笑顔でいつづけたのです。応援する者として努力を重ねてきた、強い意志――それが彼女の笑顔の原動力。
 笑顔は佐藤さんを前向きにさせ、アスリートとしての人生を再スタートさせただけでなく、やがて東京オリンピック招致という大役へと彼女を導きます。
(こうのまちこ)

▶▶【後編へ続く】
「まみスマイル」で五輪招致! 新たな家族とともに高みを目指すアスリート・佐藤真海【後編】
〈 次回は2月9日(火)更新予定です 〉

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+