生きるってなんだろう。元ガングロギャルの医療技術師・栗山さやか【前編】

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4323073208/ref=cm_sw_r_tw_dp_aH0Iwb1ANRPYD

今回は、モザンピークで日本人初の医療技術師となり、アフリカや貧困地域で医療貢献を行う栗山さやかさんが、「生きる道」を見つけるまでを見つめます。

ワタシのあの頃
親友からのメッセージで、本当の豊かさについて考えた

 栗山さんは静岡県で生まれ育ち、都内の短期大学を卒業した後、アパレルショップに勤めるようになりました。当時の栗山さんは、いわゆるギャル。ファッションの中心地、渋谷を起点に、たくさんの友人に囲まれながら毎日を楽しんでいました。

 充実した生活を送っていた栗山さんでしたが、25歳の時に人生観を大きく揺さぶるできごとに見舞われます。
 それは、親友の死。

 若くして病魔に襲われた親友は、死の間際まで栗山さんの親友として、気丈に接しようとしました。親友は辛い闘病生活の中で、栗山さんの体調や生活を気遣う、数々の声援を投げかけてくれていたのです。
 大切な親友が元気になることを祈る栗山さんでしたが、想いは届かず……。

 その時に感じたのは、大きな虚無感でした。

「大切なものが一気に色あせた」
出典: http://www.sankei.com/life/news/150302/lif1503020008-n1.html

 親友を天国へ見送ったあと、栗山さんは親友が遺した手紙やメールを読み返しながら、モノクロの世界で悲しみに暮れていましたが、あることに気がつきました。

「どうして私は自分のことしか考えていなかったんだろう」
出典: http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150306/278304/

 親友は死期を悟ってもあまり弱音を吐くことをせず、栗山さんの心配をしていました。本当に辛いのは闘病をしている親友なのに、わたしはただ悲しみの海で溺れているだけではないかと、立ち直るためのヒントをみつけたのです。

 人のためになることとは何か。優しさとは何かを知らなければならない。そう思ったのかもしれません。

 その後、栗山さんは自身の視野を広げるために、世界を旅することを決断しました。
 親友からの「メッセージ」を胸に、流行やモノにあふれた世界から離れ、答えを探す旅へと。

 悲しみから栗山さんを救ったのは、天国へ旅立った親友でした。いつも栗山さんのことを気遣っていた優しい親友の生き方が、生きることの本質について考えるきっかけを与えたのです。
 華やかな生活も、大切なひとを失えば色褪せてしまう。20代前半に同世代の親友を失ったことは、とても大きな衝撃だったことでしょう。
 失意の中、「やるべきこと」を見出した栗山さんも、とても優しいひとなのだと思います。

 

変わったきっかけ
モノも、お金も、薬もない。貧しさの底で知った、命の重み

 2006年、栗山さんは中東や東南アジアを経由し、アフリカの大地に立っていました。
 そこでは、若すぎる労働者がいるという現実を知り、いままでの生活との差に戸惑いを感じたようです。

「途上国で子どもたちが懸命に働く姿を見て、私、このままでいいの?と思ったんです」
出典: http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/social/11495

「なぜ、こんな不平等が生まれるんだろう」「日本だったら当たり前のことが、なぜこの国では通用しないんだろ
出典:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150306/278304/?P=2

 現実を知れば知るほど、気持ちは重たくなるばかり。

 そうこうしてたどり着いた先で出会ったのは、十分な治療を受けられず、死の淵をさまよっている貧しい人々。
 国家単位で貧困が問題になっている地域では、病院も、医師も不足していますし、なによりも治安が悪いため、海外からの医療援助が行き届かない集落もあります。

 でも、そこで生活を営む人がいます。とある地域では、多くのひとがHIV患者でした。貧困と過疎が原因で、学校教育を受けることすら困難となり、避妊や感染症予防の正しい知識を伝えるひとが足りないために、患者数を増やす一方だったのです。

 同世代で壮絶な人生を歩む女性や、やせ細り死を待つだけの子どもに対し、栗山さんは「何ができるか」を懸命に考えた結果、「医療ボランティア」としてケアするという答えに至りました。
 満足な治療を受けられない人々を前に、栗山さんは見て見ぬ振りをふることができなかったのです。その選択は、とても勇気がいることです。言葉も、医療資格も知識もない状態で飛び込むのですから。

患者1000人に対して当時、常時勤務していた医師は1人だけ。(中略)そこに突然、「ボランティアに来ました」と訪ねて行ったわけです。向こうとしては、手伝ってほしいことを説明する暇もない。
出典:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150306/278304/?P=3

 未経験だというのに、わずかな設備と人員の病院では十分な指導をする余裕はなく、重篤な患者に見よう見まねのケアをするほかありません。そこで栗山さんは早朝に起床し、言葉や医学を独学で学び、住民たちのあやまった知識の修正指導と、患者の心に寄り添うことをモットーとするようになりました。
 
 患者の不安や苦痛に耳を傾けることで、栗山さんも同じように心を痛めます。担当した患者さんが亡くなることも多く、自分にもっと知識があればよかったのかもしれないと、悲しみ、自責することもあったそうです。
 でも、栗山さんの献身的な看護は、周囲の人にしっかりと伝わっていました。

「彼女、嬉しかったと思うよ。君が来るまで、誰もそこまで彼女のこと気にとめてなかったから。最後に君に会えて、ケアしてもらって幸せだったと思うよ。」
出典:http://purako.jugem.jp/?page=1&month=200704

 一進一退の医療現場。
 患者との出会いと別れに胸を痛めながら、気づけば各地をまわり、実践で多くの専門知識を身につけていました。

 もう、栗山さんに迷いはありません。
 2014年、医師に変わって初期処置を行うことができる医療技術師試験に合格をしたのです。

「医療技術師としては、もし、自分がこの患者さんだったらという気持ちを忘れずに働いていきたいと思っています」

出典:http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/social/11495

 貧困地域の医療現場の様子は、栗山さんのブログで詳細に綴られています。
 日本だったら、どうしてこんなにひどくなるまで放っておいたんだというような状態になっても、医療費がはらえないため病院に通えないひとたちが大勢いること、ようやく病院にたどりついたころには手遅れの患者が多いことを知ることができます。栗山さんは、医師が見離すような患者に対し、優しく、昔からの親友のように接しています。たったひとりで過酷な世界に身を置く様子に、わたしはいま、この場でなにができるのだろうかと考えさせられます。

(たまさき りこ)

▶▶【後編へ続く】:だれもが、明日を笑って夢見る世界を目指して。医療技術師栗山さやか【後編】

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+