心を解放して自分らしく。タレント篠原ともえ【前編】

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出典:http://lineblog.me/shinoharatomoe/

 

今回は、かつて「シノラー」という流行を作り、今また、その頃とガラリと変わった大人の雰囲気での再ブレイクを果たしている篠原ともえさんの、枠にとらわれない生き方を見つめます。

ワタシのあの頃
「シノラー」という社会現象を引き起こしながらも、やりたいことを見失うことのなかった日々

 東京で育った篠原さんは、高校生のときにディレクターに見出され「篠原ともえ+石野卓球」でデビューします。

 その後、彼女の人懐こいハイテンションなキャラクターは人気を得て、さまざまなバラエティ番組でひっぱりだこになりました。

 彼女自身が生み出したのは個性的なファッションやグッズだけではありません。「ぐふふ~」「プリプリ!」などのシノラー語や、「ですぅ~」と語尾をのばすこともトレードマークとなりました。これらは「シノラー現象」として性別、年代を超えて大流行しましたね。

本当に芸能という世界に飛び込むのが夢だったんです。スタジオに入る一歩ごと、カメラのシャッターが切られる一瞬ごとに、夢が叶っていく感覚というか。その喜びを抑えきれなかった結果があの姿なんですよ。
出典: http://nikkan-spa.jp/763854

お洋服は、母が洋裁をしてた影響で小さい時から作っていましたね。小学生の時はお人形の服を作っていたので、作ることは8歳の時から。デビュー当時は スタイリストさんも居ないし、全部自分でしたね。イベント用の衣装とかも。
出典:http://www.artyard.jp

 そんな大ブレイクの間にも、小学生の頃からデザインに興味があり、人形の洋服や小物を作っていた篠原さんは、短期大学の服装学科を受験し、縫技術を学び続けました。

 一般的に、芸能界で大ブレイクし多忙になった人たちは、学生を辞めるか休学という選択肢を選ぶことが多いかと思います。
 そんな中、篠原さんは、高校の推薦で短大に進学したにも関わらず、裁縫技術を学ぶために、翌年、別の短大の服装学科を一般受験し再入学しました。
 若い頃にもてはやされると、つい自分を見失いがちになりますが、篠原さんは、自分の進むべき道を信念をもって確実に歩んでいったところに、彼女の芯の強さを感じます。

変わったきっかけ
「シノラー」のイメージを払しょくし、自由になれた初めての舞台

 篠原さんは、20歳の頃、彼女にとって初めてのストレートプレイ舞台である竹中直人のさんの『月光のつゝしみ』に出演します。

 そこでの役柄は、これまでの彼女のイメージとは全く別のものでした。それが、彼女自身が自分を縛っていた、“いつも元気いっぱいで飛び跳ねるシノラー”のイメージから脱却できた転機となりました。

今まではお芝居について本気で考えたことがなかったのね。だけど、役になりきるっていう のが心から楽しいって思えたのがそのお芝居で。本当に面白くて。役も若奥様っていう感じでシノラーとは全く別のキャラクターで(笑) 中略 私、騒いでないと怖いっていうのがあったんだけど、いろんなともちゃんを見せていいんだって 思えるようになって。
出典:http://www.artyard.jp

 自身のデザイン衣装を身につけ、自分の喜びの感情を素直に表していた篠原さんでしたが、いつの間にかそのキャラクターに縛られるようになっていたことに気づかせてくれた舞台。
 私たちも、“私はこういう人間だから”と、知らぬ間に自分自身で自分のイメージを作り、それに縛られていることがあるかもしれません。
 自分の心を自由にすることで、これまで見えていなかった世界が見えたり、新しい一歩を踏み出すきっかけになることを、篠原さんの生き方は教えてくれます。
                                                   (山庭さくら)

▶▶【後編へ続く】:わたしはずっとシノラー。姿形よりも心が大切。タレント篠原ともえ【後編】

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+
【参考記事】
あんふぁん
ART YARD
NATIONAL GEOGRAPHIC
「宙ガール☆篠原ともえの『星の教科書』」出版インタビュー