驚きの実体験を痛快に描く“無頼派”! 漫画家・西原理恵子さん【前編】

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出典:http://www.amazon.co.jp/

『毎日かあさん』映像化でアルコール依存症だった亡き夫のことなど、壮絶な私生活も知られた漫画家の西原理恵子さん。投資マンガで大失敗を暴露したかと思えば、幼い記憶を描いた“泣ける”作品も多々。今回は、数々の逆境を乗り越えた、西原さんのエネルギッシュな生き方を見つめます。

ワタシのあの頃
大学の受験日に父が自殺。大学時代の仕事はミニスカパブと成人誌のイラストカット

高知県に生まれた西原さん。波瀾万丈伝の幕は、その幼少期に切って落とされました。アルコール依存症の夫に悩まされた母は、西原さんを妊娠中に実家に戻り出産。彼女が7才のときに再婚しますが、義父もまた無類のギャンブル好き、様々な商売に手をつけては失敗と成功を繰り返す奔放な人物でした。

親のために子供のいろんな可能性が失われてしまう。お金がないと、夫婦ってほんとにみっともないケンカしますからね。うちの親がそうだったから。
出典:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090601/156933/

私はものすごく悲観論者で、明日良いことがあると思ったことがないんです。(中略)「なんとかなる」とか、「そのうち良いことある」なんていうことはありえない。それでダメになっている人を、私は田舎で山ほど見てきました。親が夜逃げしたりしてお金がないと、泥棒の子は泥棒になるし、売春婦の子は売春婦になるんですよ。
出典:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090526/155497/?rt=nocnt

私が子供のころ、見てきた人たちはみんな貧しかった。貧しい現実を前にすると、何も考えないんです。(中略)貧乏になると、どんな女の人も、みんなため息をついて、お母さんが怒っている。友だちもいないし、おしゃれもない。
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(前文略)私が逃げ込んだ先が空想の世界だった。そのころから、わたしは絵を描くことが大好きになった。絵だけは誰にもじゃまされない、自分だけの世界だったからね。
出典:この世でいちばん大事な「カネ」の話/西原理恵子著/角川文庫

高校生になると、彼女自身も波乱を巻き起こします。飲酒によって退学処分を受け、納得のいかなかった西原さんは学校を訴えて裁判を起こし中退。

その後、大検に合格し美術系大学の受験を志しますが、受験の前日、ギャンブルで莫大な借金を作った義父が自殺してしまいました。
西原さんは母がかき集めた100万円を持って単身上京。1日1個の弁当を食べながら予備校に通い、武蔵野美術大学に合格しました。せっせと続けたアルバイトは、成人誌のイラスト描きと、ミニスカパブのホステスでした。

当時の美大は倍率も高く(中略)エリート意識持つ人が多い。だから、アルバイトするのだって、おしゃれなカフェか、デザイン事務所。私みたいにミニスカパブで働きながら、エロ本でカット描いてる子なんていなかったですね。一方こっちは、卒業制作に使う材料費もない。大学の構内で落ちてる絵を拾って、上から絵の具かけて提出したりしましたね。
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プライドがなかったのが良かったとおもいますよ。ミニスカパブでバイトしていると歌舞伎町のスゴイ現実もたくさん目にする。お金がなくて、ああなったらどうしようという気持ちは、後ろからエイリアンが追いかけてくるようなものだから、とりあえず、何も考えずに、「売り込みしかねぇぇぇー」と、ただ焦っていたわけです。

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どんな仕事でもこなす“なりふり構わなさ”には生い立ちも影響していたのでしょう。“田舎に戻るのだけはイヤだ”と思っていたといいます。

やがて西原さんは、在学中に月収30万という目標を達成します。
そして描き続けていた“エロ雑誌”のカットが小学館編集者の目に留まり、24才のとき、ヤングサンデーでデビューすることになりました。

変わったきっかけ
売れっ子だけど、ギャンブル損失金額5000万。結婚した夫はアルコール依存症!

その後、西原さんは様々な雑誌で連載を持ち、仕事は増えていきました。
パチンコ雑誌、麻雀雑誌掲載の折には、「ギャンブルマンガを描くには実際に体験する必要がある」と、数年間パチンコや高レートの麻雀に熱中。
結果、損失金額は10年間で約5000万円になったといいます。

私が負ければ負けるほど読者の受けがいい
出典:https://ja.wikipedia.org/

売れてきても「金は幾らあっても安心できん」とばかり、貪欲な仕事っぷりは変わらず……。
一方で、彼女には大金を賭けに投じるギャンブラーの側面もあったのです。夫・鴨志田穣氏との結婚もまた、賭けだったのかもしれません。

1996年、32才のとき、西原さんは、旅行体験漫画のアマゾン取材で、カメラマンとして同行したフォトジャーナリスト鴨志田穣氏と出会い、結婚しました。一男一女をもうけますが、以後夫のアルコール依存症に悩まされます。

え? 結婚のきっかけ? それは鴨ちゃんが勝手に来ちゃったから……。いきなりアルコール中毒でオオハズレでしたけどね。(中略)私はガマン強くて、稼ぎがあったから、つい支えちゃったけど、3年で別れれば良かったなと思った。
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「早く別れれば良かった」という言葉は一見冷たく聞こえても、それはそれで西原流。実際には6年間彼を支え、離婚後も絶縁せず、彼がアルコール依存症を克服するまでサポートし続けた彼女だからこそ言える言葉なのでしょう。

夫の病気に振り回されながらも西原さんは描き続け、『ぼくんち』で文藝春秋漫画賞、『毎日かあさん』『上京ものがたり』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞しました。

あのころは家族が漂流しているような状況でしたね。でも、仕事は休まなかった。休むという選択肢がないので。
出典:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090601/156933/

彼を人として見送れたのも、お金があったからですね。お金がなければ、のたれ死にさせていたと思う。家にも入れられないし、良い医療もほどこせない。だから、こういうときのために働いてきたんだなあと思った。
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アルコール中毒は克服したものの、末期の腎臓癌だった鴨志田氏は2007年に死去。西原さんは元妻として喪主を務めました。

どんな逆境にあるときも、彼女は描くのを止めませんでした。もちろん、描くことが好きだからでしょうが、西原さんは、そんな野暮な表現はしないのです。「商売だから」。そして、「働きさえしていれば、絶対、次の展開がある」から、と。

(mami)

▶▶【後編へ続く】:自分にしっくりとくる世界は、自分がつくればいい。漫画家・西原理恵子【後編】

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+