介護と学業、仕事の両立。あきらめずに「伝える使命」をつらぬくアナウンサー・町亞聖【前編】

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町亞聖出典: http://www.zakzak.co.jp/people/images/20130628/peo1306280713000-p1.jpg

 
今回は、学生時代から始まった母の介護を、大学進学やアナウンサーの仕事と両立し続けた町亞聖さんの、苦境のなかでも「できること」「やりたいこと」を見失わないコツ、そして彼女が持つ驚異的な「発想の転換力」を見つめます。

ワタシのあの頃
母が倒れ、要介護に…18歳で直面した介護と主婦業の重責。学業と介護、家事の両立

 町さんは1971年、埼玉県に生まれました。
高校3年のときに、母がくも膜下出血と脳こうそくを発症。言語障害と右半身不随、知能障害を負ってしまいます。

 働き手でもあった母が倒れ、町さんの環境は大きく変化しました。
 まだ小中学生だった弟妹を抱え、苦しかった家計はますます逼迫しました。町さんは一度進学をあきらめ、就職を考えました。

全てが手探りでまるで出口の無いトンネルに迷い込んだようでした。
出典: https://www.clinico.co.jp/nursing/memory/index.html

 
 しかし家庭に対して無責任だった父の「進学してほしい」という言葉に背中を押され、町さんは家事や弟妹の世話をしながら一浪、奨学金を得て大学へ進みました。
 大学生になっても彼女の暮らしは変わりません。母の介護や家事に追いまくられ、大学と家の往復で終わる日々は瞬く間に過ぎていきました。

ストレスが溜まっていたのか、元気なときの母の夢を見て、ふと起きると涙が止まらない、ということが何回かありました。
出典: http://blog.livedoor.jp/kawajun1980/archives/52392268.html

 


 目が回るような毎日を支えたのは弟妹の協力、そしてなにより母の「笑顔」でした。
「食費が厳しく、ちくわの磯部揚げばかり作った」など、彼女はつらかった日々について肩ひじを張らずに語ります。
ひとりですべてを背負わなければならなかった18歳の町さん。
でも、今の彼女が見せる悲壮感のない笑顔は「介護は決して、自分の仕事や夢の終りを告げるゴングなんかじゃない」と思わせてくれます。

変わったきっかけ
日テレに入社。アナウンサーになりたい、伝えたいという夢をかなえた日々と介護

 町さんは大学卒業後、日本テレビに入社します。

私は子供の頃、日航ジャンボ機墜落の現場で必死にレポートする人をみて、私もああいう伝えることを生涯の仕事にしたいと思っていました。それ以来私の夢はアナウンサーでした。
出典: http://bizacademy.nikkei.co.jp/business_skill/shaberi/article.aspx?id=MMACi8000031012012

 

また母が倒れたときから

「自分の使命は伝えること」
出典:http://bizacademy.nikkei.co.jp/business_skill/shaberi/article.aspx?id=MMACi8000031012012

 
 と強く感じ、日々の暮らしを克明に記録し続けてきました。
 この記録は、のちに町さんの著書『十年介護』の冒頭部分にそのまま生かされることになります。

 もちろん介護生活も続きます。フレックス制だったから両立できたと彼女は語りますが、それでも並大抵の苦労ではありません。
 入社後まもなく、父に「母が車いすでも暮らしやすいマンションを買ってくれ」と言われ、20代の若さで住宅ローンを背負うことになりました。

大切なのは発想の転換だと思っています。「家族がやらなければならない」「仕事を辞めるしかない」など、諦めてしまったら仕事と介護は両立できません。
出典:http://blog.livedoor.jp/kawajun1980/archives/52392268.html

 

 介護と家事、ローンと奨学金返済、そして仕事。どちらを向いても首のまわらない暮らしは、牢獄のような息苦しさを感じさせます。
 しかし町さんは折れませんでした。彼女はひとりぼっちではなかったからです。

私達が心掛けたのは母を母として扱うことでした。“出来ないこと”ではなく“出来ること”を数えていく。そして私達がいないと何も出来ないのではなく、私達がいれば何でも出来ると『発想の転換』をしました。
出典:https://www.clinico.co.jp/nursing/memory/index.html

 


 介護なしには生活できない母を、家族の深い愛情がいつも包んでいました。
 そしてその愛は、母の笑顔となって、くたくたに疲れて帰ってくる町さん一家を優しく迎え続けてくれたのです。
 母は左手だけで洗濯物をたたんだり、洗い物をしたりと、家族の一員としてできることで家事を手助けしていました。
 弟妹もどんどん成長します。弟は家のローンを一緒に背負ってくれ、妹は「自分は姉より恵まれている」と言って家事や介護を積極的に引き受けてくれました。
 「私は孤独に戦っている」――町さんがそう感じていたら、家族はこんなに一丸となって苦境を乗り越えられたでしょうか。
 「今をきちんと見つめて、誰かに伝えよう」と、自分を常に冷静に記録し続けた町さん。
自分と家族の姿をしっかりととらえてきたからこそ、苦労はあっても幸せな日々をつむぐことができたのかもしれません。
(こうのまちこ )
▶▶【後編へ続く】18歳からの介護生活。フリーアナウンサーとして、福祉や医療を語りたい。町亞聖【後編】
【後編】
〈 次回は5月22日(金)更新予定です 〉

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+