「あなた、まだ続けるの?」吉川美代子に学ぶ、酷い言葉に傷つかずに好きな仕事をやりきる秘訣【前編】

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 今回は、TBS勤続37年アナウンサーとしての使命をまっとうし、現在の女子アナブームに警鐘を鳴らす女性、鋼鉄の意思の持ち主、吉川美代子さんの「切なる願い」そして「後世へ伝えたい心の声」を見つめます。

ワタシのあの頃
念願の報道キャスターに就任。忙殺のなかでも鍛錬を怠らずプロとして仕事をこなす

 吉川さんがアナウンサーを目指すようになったのは、山本文郎氏との出会いがきっかけでした。中学生時代、学校のブラスバンド部の紹介をしたところ、「君は将来の吉川アナウンサーですね」と褒められたことが転機となったのです。
 その言葉が支えとなり早稲田大学卒業後、狭き門をくぐりTBSにアナウンサーとして入社した吉川さん。堅実な仕事ぶりが評価され、28歳の時には「JNNニュースコープ」の顔として抜擢。念願であった報道キャスターとして就任しました。

入社5年目に大きなチャンスが巡ってきたんです。TBSで初めて全国ネットのニュースを女性アナウンサーが読むことになり、私に白羽の矢が立ちました。その後、報道番組のメインキャスターとして、日航機の御巣鷹山墜落事故、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊など、時代の節目や大きな出来事を伝えることになりました。最初に目標と志を高いところに置いたからこそ、チャンスを生かすことができたのです。
出典:http://www.wasedaweekly.jp/detail.php?item=996

 しかし、当時の報道と言えば完全なる男性社会。周りからの重圧や責任の重さを感じた吉川さんは、円形脱毛症や胃痙攣をおこすなど常に体の不調を感じていました。
 それでも不屈の精神を胸に取材や編集にも意欲的、もちろん日々の発声練習を欠かすことはありませんでした。
ところが、そんな生活が10年以上続いたある日、吉川さんに衝撃の言葉が投げつけられます。「正直、40超えた女性アナウンサーの顔ってテレビで見たくないよね。あなた、まだ続けるの?」

 入社以来、努力とキャリアを積みあげてきた吉川さんにとって、どんなに酷な言葉だったでしょう。
自分のため、また続く後輩や後世のためにしてきたすべてが、否定されたような気持ちになったかもしれません。
(EKKO)

▶▶【後編へ続く】
女子アナではなくアナウンサー。吉川美代子に学ぶ、酷い言葉に傷つかずに好きな仕事をやりきる秘訣【後編】
〈 次回は4月24日(木)更新予定です 〉

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+