「あの恋愛は私のすべてだった」華原朋美、薬物依存のどん底から、自分が誇れる人生へ【前編】

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 今回は16年ぶりに小室哲哉さんとのコラボで新曲を発表した華原朋美さんの、失恋に傷つき薬物依存症と闘い続けた壮絶な日々と、彼女を立ち直らせた家族の愛、そしてすべてを乗り越えた「今」について見つめます。

ワタシのあの頃
歌うことを天命に生まれてきた歌姫。90年代を駆け抜け、恋に破れ薬物依存でどん底へ

 1974年に生まれた華原さんは、高校3年のときに渋谷でスカウトされ、芸能界に入ります。
小室哲哉さんとの出会いは1995年。交際がはじまり、たぐいまれなる天性の歌唱力を見抜かれ、歌手としての活動がスタートしました。
 当時、小室さんは音楽プロデューサーとして頂点に立っていました。華原さんの才能は小室さんの楽曲で輝き、またたくまにトップスターとなりました。
 華原さんの歌が街中で流れ、発売されるCDはあたりまえのように首位に輝きました。

 しかし、幸せな日々は長く続きませんでした。
 華原さんと小室さんの関係は次第にかみあわなくなってゆき、1998年ころついに破局します。

ぐっちゃぐちゃの色んなことがあって、ホントに思い出したくない、と思う時もありました」
出典:http://news.aeonsquare.net/6875/

 華原さんは失恋から立ち直ることができず、精神的に不安定になりました。
 病院に通いつめ、処方された睡眠薬などの薬物を乱用、依存症におちいります。

あの恋愛は当時の私にとってはすべてだった。だから、それを失くした時にどうやって生きていいかが分からなくなってしまった
出典:http://mdpr.jp/news/detail/1235771

「I’m proud」や「「I BELIEVE」など、「自分の青春は朋ちゃんの歌とともにあった」という人も少なくないでしょう。
彼女は日本がまだバブルの熱気をまとっていた時代を象徴する、歌姫でした。
でも今、40歳を迎えた華原さんの歌を耳にすると、血の通った「体温」を感じます。
若く、トップスターだったころの華原さんは輝いていましたが、そのときの歌に今のような「体温」は、はたしてあったのでしょうか。

変わったきっかけ
閉鎖病棟を経て、家族と二人三脚で歩んだ療養の日々。愛に支えられた歌手復帰への道

 華原さんは破局の翌年とされる1999年、自宅でガス中毒で倒れ、救急搬送されます。
 その後、何度か復帰と休養を繰り返しますが、ファンが待ち望んでいた「自信に満ちていた元気な朋ちゃん」とはほど遠い姿でした。
 そして2009年、華原さんは精神安定剤の過剰摂取で倒れます。
 この事件をきっかけに、華原さんの家族はある決意をします。
 華原さんを薬物依存から救い出すため、閉鎖された隔離病棟へ入院させたのです。

 幻覚に悩まされ、問題行動を起こし、病院では反抗的な態度をとると拘束されることもあったという華原さん。
 2ヶ月におよぶ過酷な入院治療の結果、薬物依存から抜け出すことができました。

 依存症は、薬物や食べ物、アルコールなど、原因となっているものを切り離すだけでは完治しません。
なぜそういったものに溺れるようになったのか、なぜ寄りかからずには生きていけなかったのか――底にある「こころ」が癒されなければ、治ったとは言えないのです。

 華原さんは、退院後フィリピンに住む父のもとで休養しました。
 現地ではボランティア活動にも参加。父とゆったり過ごす日々は、華原さんを静かに癒してくれました。
 帰国後は、兄が経営する高齢者住宅を手伝いながら歌い続けます。
 入居者とのふれあいの中で、華原さんは少しずつ自分自身を取り戻してゆきました。

私は今まで色々な人を傷つけたし いろんな問題起こしたから歌手に戻れないと思うんだけど おばあちゃんどう思う?と聞くと「大丈夫だよ 私の方がもっといろいろあったよ 人間はいろいろあるから人間なんだよ」って
出典:http://nonnsutoppu.wikitoha.com/topics/entame/kasyu/kaharatomomihukkatu.html

 契約を解除されていたプロダクション尾木の尾木社長には、みずから心をこめた手紙を書き、復帰を願いました。
 そして2012年の年末、華原さんは歌手としてテレビに登場しました。5年半ぶりの復帰でした。(こうのまちこ)

▶▶【後編へ続く】:小室哲哉氏と16年ぶりの共同作業。華原朋美、薬物依存のどん底から、自分が誇れる人生へ【後編】

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+