夫の出世は嫁次第? 戦国の良妻賢母・山内千代に学ぶ「夫育て」の奥義【前編】

このエントリーをはてなブックマークに追加

 今回は、貧乏青年武士だった山内一豊に嫁ぎ、知恵と機転で夫を助け、ついに土佐二十四万石のあるじへと出世させた山内千代の、本当の賢さと、今に活かせる「内助の功」について見つめます。

ワタシのあの頃
痩せ馬に乗る貧乏青年、一豊に嫁いだ千代。大名へのサクセスストーリーの始まり

 山内一豊の妻、千代が山内家に嫁いだのは、一豊がまだ立身出世を果たす前のことでした。
 一豊の父は岩倉織田氏の家老をしていましたが、信長と対立して亡くなります。一豊は流浪の生活も経験したと言われています。
 
 千代は現在の滋賀県米原市で生まれました。才色兼備の女性だったとされています。

近江浅井氏家臣、若宮喜助友興(米原市飯(い))の娘として弘治2年(1556年)に生まれた。
(中略)一豊の母に裁縫を習ったことが一豊との縁の始まりだといわれている。
出典:http://www.city.maibara.lg.jp/0000000287.html

 しかし千代が嫁いだとき、一豊はかなり貧しい青年武士でした。千代は一豊にとって、苦楽を共にした糟糠の妻であり、立身出世のすべてを見つめてきた長年のパートナーだったのです。

浪人生活の一豊と貧乏の中で結婚し、その日の糧にも事欠く生活を送っていた
出典:http://rekishi-club.com/hiroin/tiyo.html

「山内一豊の妻」は、良妻賢母の鑑として教科書にも採用されました。ではなぜ、同じように苦労を重ねてきた戦国武将の妻が数多くいる中で、千代が注目されたのでしょうか。

変わったきっかけ
今も語り継がれる数々の「内助の功」物語。千代の知恵でのぼりつめた一豊の立身出世


 千代にはいろいろな内助の功エピソードが残されています。

へそくりで馬を買う
出典:http://www.city.maibara.lg.jp/0000000287.html

 一豊は流浪の生活の後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三傑に仕えました。
 千代がへそくりで馬を買ったエピソードは、信長に認められるきっかけを作ったサクセスストーリーです。
 売りに出された東国一の名馬。織田家中で誰も手が出ない高価な馬は、貧しい一豊が買えるものではありません。
 そこで千代は有事に備えてこっそり鏡箱にしまっておいた十両の大金を投げ打って、夫のために名馬を買いました。
 名馬は見事信長の目にとまりました。さらに「織田には馬一頭買える者がいない」と馬売りに笑われる恥から織田家を救ったとして、信長は一豊を大変褒め、一気に出世したとされています。

笠の緒の密書
出典:http://www.city.maibara.lg.jp/0000000287.html

 笠の緒の密書のエピソードは、秀吉の死後に、一豊が家康側につくきっかけを作り、その後の山内家の繁栄のいしずえを築いたお話です。
 徳川家康につくか石田三成につくか悩む一豊のもとに、笠の紐に潜ませた千代からの密書が届きます。そこには「家康についてください」と書かれていました。
 それと同時に、文箱に入った正式な手紙も届きます。一豊は千代の心を読み、開封せずに妻の手紙を家康に差し出しました。もちろんそこには「徳川様に忠誠を」と書かれています。
 家康は妻の手紙をそのまま差し出す忠誠心と、一豊夫婦の固いきずなに心打たれ、関ヶ原の戦いに見事勝利しました。

 流浪の浪人だった一豊は、江戸時代に入ると一国一城の主、大名へと出世します。この立身出世のストーリーを支えたのが、千代の機転と彼女に寄せる一豊の信頼でした。
 戦国大名にとって、正室は奥を取り仕切るだけでなく、上司の妻ともつながりを築く外交官でもありました。
 しかし、どんなに能力を持った女性であっても、表に出ることは許されなかった時代です。内助の功で知られる千代も、立場は同じでした。
 千代の本当の「内助の功」は、こうして伝えられるきらびやかな手柄だけでなく、実はもっと目立たない、日々の暮らしの中に潜んでいたのではないでしょうか。
(こうのまちこ)

▶▶【後編へ続く】:今日から実践! 戦国の良妻賢母・山内千代に学ぶ「夫育て」の奥義【後編】

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+