「世間体なんてかまってどーする!」加賀まりこから「迷える30代の女子」たちへ【前編】

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 今回は、たぐい稀なる演技力と、歯に衣着せぬ強気な言動が魅力の加賀まりこさんの、波乱に満ちた女優人生と、70歳を超えてますます研ぎ澄まされてきた、シンプルな強さを支えるピュアな愛情を見つめます。

ワタシのあの頃
和製ブリジッド・バルドーと呼ばれ、もてはやされた早熟な小悪魔美少女。一転、パリへ

 芸能一家に囲まれ、神楽坂で育った加賀さんは、子どもの頃から早熟な美少女でした。都会の大人の世界を熟知し、頭の回転も速く度胸の座った女の子だったそうです。

 古書店街でマルキ・ド・サド選集を手に取り、松任谷由美さんのデビュー逸話で有名なキャンティに学生服姿で通う加賀さんは、16歳で寺山修二と篠田正浩にスカウトされ、デビューします。
 19歳で映画デビューを果たし、『月曜日のユカ』など今でも輝きを放つ名作に次々出演。しかし、加賀さんは芸能界で生きることや、ふくらみ続ける世間の勝手なイメージに疲れてしまいます。

 20歳の頃、加賀さんは半年間の仕事をすべてキャンセルし、単身パリへと旅立ちます。

「(母は)派手なことは好まず、世間体や体裁をかまうことも一切なかった。〈世間体〉なんてものを生きる物差しにしてどーする!? という、私の価値観の一端はこの母から継いだと思う」
出典:http://lite-ra.com/2014/10/post-523.html

 加賀さんは、若い頃から思ったことをズバリと口にし、強気な態度で「生意気だ」とバッシングされることもありました。

 恵まれた環境や美貌、抜群のスタイル……そういった「幸運」にあぐらをかいただけの強気や毒舌なら、いつしか芸能界から忘れられていったことでしょう。

 しかし、彼女のロックな言動は「見た目の可愛らしさ」という薄皮に支えられたものではなく、そのルーツから受け継がれてきた、もっと根深いところにある本物の気骨だったのです。

変わったきっかけ
「オンディーヌ」で舞台の世界へ。挫折を越えて得た深み・厚みのある演技と女優の喜び

 仕事をキャンセルして滞在したパリでは、豪遊の日々。加賀さんはサガンやイヴ・サン=ローランなど、そうそうたる大物と交友しました。
 その後、劇団四季を率いる浅利慶太氏から「オンディーヌ」出演への打診を受けます。それは彼女にとって、実は大きな挫折への扉でした。

脚本を読んで、頭では理解できる。でも表現する時に声も、手段もついていかない。それなのに北大路(欣也)さんはポン、とできる。(中略)これまで演技なんてそんなに大切に考えないで育ってきちゃったと思った。くやしくて、くやしくて、それから2年間、劇団入って一から勉強した
出典:http://kotatuneco.blog59.fc2.com/blog-entry-736.html

 生身をぶつける舞台の世界で演技の壁に阻まれた加賀さんは、真摯に演技の勉強に取り組みます。

 舞台「オンディーヌ」は見事大成功をおさめ、加賀さんは挫折を乗り越え女優業の喜びに目覚めました。『美しさと哀しみと』『泥の河』といった映画では、高い評価を得ています。
 近年も『花より男子』などのドラマや『神様のカルテ』といった映画、舞台『阿修羅のごとく』など、多彩な活躍を続けています。

 女優としてだけでなく、加賀さんはバラエティでも人気を得ています。しかし、その人生は決して順風満帆なことばかりではありませんでした。

 1970年代には、未婚のまま妊娠・出産を経験し、産まれたばかりの長女を喪っています。またテレビマンとの結婚・離婚も経験しました。

 週刊誌やマスコミによる詮索やバッシングは女優につきもの。とはいえ、日頃強気で知られる加賀さんゆえに、傷ついた心身に追い打ちをかける言葉の刃の鋭さは、想像を絶するものです。

 しかし、彼女は挫けることがありません。その傷さえも、女優としての彼女、そして「人間・加賀まりこ」を輝かせる魅力へと昇華させてしまいます。

修羅のない女優なんて、いらないんだから
出典:http://eiga.com/news/20121105/8/

(こうのまちこ)

▶▶【後編へ続く】:「着飾らなくていい。気負わなくてもいい」加賀まりこから「迷える30代の女子」たちへ【後編】

キラリと輝く名言

世間体なんてものを 生きるモノサシにして どーする!?

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+