「妥協するといつか後悔する!」字幕翻訳家、戸田奈津子の「好き」を仕事にする極意【前編】

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 今回は、字幕翻訳という職業を世間一般に知らしめた功労者であり第一人者、第1回淀川長治賞を受賞。現在も年間数十本を手がけ、一線で活躍し続ける戸田奈津子さんの生き方を見つめます。

ワタシのあの頃
映画との出会いは「飢え」の記憶から。終戦直後、少女は夢の世界のとりこに

 映画に初めて触れたのは終戦の翌年。母に連れられ新宿の映画館で洋画を観た小学生の戸田さんは、衝撃を受けました。娯楽の少ない精神的な「飢え」と、食べる物のない現実的な「飢え」、ふたつの「飢え」を抱えていた少女にとって、自分たちに無いものをふんだんに見せてくれる洋画は、まるで夢の世界だったのです。

 少ないお小遣いをやり繰りして映画館に通いはじめた戸田さん。中学に入ると英語の授業が始まり、画面のスターが話している言葉に興味を持つようになりました。

(前文略)視聴覚教育などいうことばもない時代で、聞いたり話したりする訓練はゼロ。(中略)最初は映画を見ていて「サンキュー」の一言が聞きとれてもうれしい、という情けない耳でした。それがふた言になり、三言になり……好きなスターの言っているセリフを、もっと聞き取りたいという映画ファンとしての気持ちが、英語を勉強する励みにつながっていったのだと思います。
出典:http://www.eigotrans.com/interview/toda/toda_01.shtml

 やがて、津田塾大学の英文科に進みましたが、通学に使っていた中央線沿線には映画館が多く、友だちに「代返」を頼んで、よく映画を観に行きました。
 大学の4年間は勉強より映画にのめり込んだ時期で、初めて英語を喋ったのも、大学ではありませんでした。学校の掲示板で「バレエ学校の通訳」というアルバイトをみつけたのがきっかけで、来日したニューヨーク・シティ・バレエ団の通訳をすることになったのです。

ひどくたどたどしいものだったとは思いますが、英語を話すことへの恐怖心よりも、とにかく話してみたいという気持ちのほうが強かった。いまのように英会話学校が氾濫している時代と違って、ヒアリングやスピーキングが実地で体験できる機会なんてめったにないものでしたから。
出典:http://www.eigotrans.com/interview/toda/toda_01.shtml

 刺激的な体験をした戸田さんは、卒業して就職というとき、皆が希望する教師や公務員、スチュワーデスといった仕事に魅力を感じることができませんでした。心に浮かんだのは、好きな映画への憧れと英語への意欲を両方満足させられる、“字幕翻訳”という仕事でした。
 
 でも、どうしたら字幕翻訳家になれるのかが分かりませんでした。悩んだ末、戸田さんは、映画で観た翻訳家・清水俊二氏の住所を調べ、「弟子にしてください」と手紙を書きました。返事が来て事務所を訪ねましたが、貰った言葉は「難しい世界だから、別の道を探しなさい」というものでした。

当時、プロの字幕翻訳家は20人くらいで、食べていけるのはそのうちの10人くらい。しかも全部男性。そんなところに大学を出たばかりの女の子が入れるわけがなかった。
出典:http://www.cinematoday.jp/page/N0066943

 結局、保険会社の秘書として働きはじめますが、時間や規則に縛られるのに耐えられず1年半で退職。在職中から始めた翻訳のアルバイトを糧に、フリーになる道を選びました。字幕翻訳家への道を断念したわけではなかったのです。

(前文略)妥協するといつか後悔するだろうという予感がありました。それよりは、たとえ無に賭けるようなものでも、自分の選んだ道を進みたい。この世の中、飢え死にすることはないんだから、自分のやりたいことを貫こう。30歳を目前に控えた私の胸にあったのは、ただその決意だけでした。
出典:http://www.eigotrans.com/interview/toda/toda_02.shtml

 そんなとき、卒業以来師事していた清水氏からユナイト映画のアルバイトを紹介されたのです。映画評論家の水野晴郎氏が宣伝部長をしていた時代で、「007」シリーズを抱えたユナイト映画は活気にあふれていました。

 映画界とやっと繋がりを持てた戸田さんでしたが、仕事は、手紙の英訳や宣伝資料の和訳。やがて通訳の仕事も回ってきましたが、字幕翻訳には手が届きませんでした。

私が字幕翻訳をしたがっていることは、業界のだれもが知っていました。でも、(中略)あいかわらず字幕の世界は、日本第1号の字幕入り映画「モロッコ」(30年/31年公開)のころから活躍されている10人足らずの先輩たちで占められていて、とても新人の入りこむ余地はなかったのです。
出典:http://www.eigotrans.com/interview/toda/toda_02.shtml

 保守的な風潮に苛立ちを感じていた戸田さんに、フランソワ・トリュフォー監督の「野性の少年」(69年/70年公開)と「小さな約束」(72年/73年公開)の字幕をやらないかという話が舞い込みました。待ちに待ったチャンスが到来したのです。

 字幕翻訳という職が今にも増して特別だった時代、ツテもなく、仕事までやめて夢を追いかけた戸田さんは、周りから変人のように見られたといいます。
 女性が男性と肩を並べて働くことすら当たり前ではなかった頃ですから、行動の大胆さ、強さは想像を超えるものだったでしょう。
 彼女を支えていたのは、“映画が好き”という憧れの心。少女のように無邪気な夢があったからこそ、鉄の意志を持つことができたのです。
 けれど、字幕翻訳家デビューをしても、道の険しさは続きました。

(mami)

▶▶【後編へ続く】:「好きという思いはそれだけで才能!」字幕翻訳家、戸田奈津子の「好き」を仕事にする極意【後編】

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