「撃たれる前に犯人と話したかった」ノーベル平和賞マララ・ユスフザイの覚悟【前編】

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 今回は、ノーベル平和賞受賞者マララ・ユスフザイさんが、“世界の子どもたちの代弁者”として、教育と平和、女性の人権を訴え続ける理由と、世界の現実について見つめます。

ワタシのあの頃
民族の慣習にとらわれない博識な父と母に与えられた、学びと平和への思想

 パキスタンは宗教的、民族的思想が深く根付いている国です。男性の権利がとても強く、女性の勉学、就労、外出を快く思っていない人が、現代においても多く存在します。そのため、子は男児を望む風潮があるのです。

 しかし、1997年に女児であるマララさんが誕生したとき、両親はとても喜びました。
 マララさんの両親は、パキスタンでは珍しい恋愛結婚。
 マララさんは、柔和な思想を追求する父が設立した学校に通うようになり、好成績を修める少女へと成長しました。

 やがて、タリバンが勢力を広げ始め、民衆への弾圧が強まると、学ぶことすらままならない日々が始まりました。
 女性が学ぶこと、政治に参加すること、顔を出すこと、恋をすること、踊ること……こうしたことで、罰せられるようになったのです。

 11歳のマララさんは現状を悲観し、世界に「現実を知ってほしい」とブログを開始。英国メディアに注目されるようになりました。

なぜパキスタンでは、このようにひどいことが起こり続けているの?
出典:http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7834402.stm

 歌や踊りはいけない。女性が学校に通ってはいけない。
 わたしたちが営む普通の生活は、彼女たちにとっては夢の世界。本当に神様は、恋をしただけで処刑しろというのでしょうか。
 マララさんは宗教批判をしているわけではありません。均等な知識を得ないと、解釈が歪曲するのだと警鐘を鳴らしたのです。

変わったきっかけ 
150センチの小柄な少女を襲う弾丸。それでもわたしは、恨まない

 ブログでの発信や父の学校経営により、マララさんの名は広く知られるようになりました。
 当然、タリバンにもマークされ、度重なる脅迫状が送られるようになります。

 恐れていたことが起きたのは、2012年10月9日。中学校から帰宅するためのスクールバスで襲撃され、なんと、頭部と首に銃弾を受けたのです。

私には二つの選択肢しかありませんでした。一つは、声を上げずに殺されること。もう一つは、声を上げて殺されること

I had really two options.
One was not to speak and wait to be killed.
And the second one was to speak up and then be killed.
(abcニュース 原文)
出典:http://abcnews.go.com/International/wireStory/nobel-laureate-malala-predicts-change-coming-27495958

 しかし、イギリスの病院に搬送され、一命をとりとめたマララさんは、犯人を恨んではいませんでした。
 なぜ、武力で統制をはかろうとするのか、なぜ、女性の自由を奪うのか。
 それは、教育がないからだ、個々の知識が乏しいからだ。
 そうした思いから、犯人を恨むのではなく、教育の機会がないことを嘆くのでした。

残念なのは、撃たれる前に、犯人と話ができなかったこと。
出典:『わたしはマララ』マララ・ユスフザイ著[学研パブリッシング]

 マララさんは、コーランの教えに、女性が教育を受けてはならない、仕事をしてはならないとは書いていないと言います。学びなさい、そう書かれているのだと訴えているのです。

 善悪の線引きをするための“知識”を得る場所、機会が奪われ続けてきた結果なのでしょう。
15歳の少女が、個人が悪なのではない。もっと大きな問題があると、命と引き換えに訴えている現状。自分だけのためでなく、友人や、未来のために、声をあげているのです。
15歳のとき、命と引き換えにして何かを訴えること、できましたか?

(たまさきりこ)

▶▶【後編へ続く】

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+