【前編】「全身がんでも、私は幸せ」樹木希林の思いどおりにいかない人生を楽しむ秘訣

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 2013年3月、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞のスピーチで全身がんを告白した樹木希林さん。2014年1月にすべての治療を終了。あらためて彼女の「幸せのあり方」を見つめます。

ワタシのあの頃
人と話さない、友達もいない。でも両親だけはいつも笑顔で認めてくれた

 樹木さんは、第二次世界大戦の真っただ中、東京神田で生まれました。子どもの頃は人とほとんど話さず、いつもひとりで遊んでいたそう。

今ふり返ってみるとポイントだったと思うのが、小学校6年生の水泳大会のとき。(中略)私以外は小学校1年生~2年生ぐらいのレースでした。歩き競争が「よーい、ドン」で始まると、小っちゃい子たちがワチャワチャやってるなか、私だけすぐゴール。断トツの一等賞よ、なんせ身体が天と地ほどもちがうんだから(笑)。でもね、表彰式で私ニンマリ笑ったらしいの。私も誇らしかったのを覚えています。これが私の財産なんです。まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。(中略)これはもう親の教育に尽きますね。親がえらかった。
出典:http://futoko.publishers.fm/article/6444/

 このような価値観をもてたのは親の教育のおかげ。両親はとにかく「叱らない」親でした。記憶にあるのはいつも「あんたはたいしたもんだよ」と言われていたこと。何を言っても何をやっても両親は笑っていたとのことです。

 子どもにとっては親がすべて。叱られれば自分はダメな子だと思い込み、誉めてもらえば自信がつく。叱らない教育だった両親を感謝ではなく「えらかった」と表現するのは、しっかりした自分軸を持っている希林さんだからこそなのでしょう。

変わったきっかけ
森繁久彌さんとの出会いが女優としての道を確たるものにした。

 樹木さんは、高校を卒業後、大学や専門学校へは行かず、新聞に出ていた文学座の研究生募集の記事を見つけて願書を出しました。親が自営業をしていたため、働かなくても食べていけたのですが、「みんなは仕事をしているのに自分だけしないのはイヤだな」、「どこでもいいからやることを決めないと」などと思ったのです。

セリフがあまりない役をずーっとやってきたから、自分で存在感を示していくしかなかった。芝居はそういうものだと思ってきていたから。セリフがたくさんある役をやると、それがとても邪魔するわけ。自分で作っていかないと成り立たない人生を送ってきたから。
出典:http://mainichi.jp/feature/news/20141031mog00m040010000c.html

 いつからかCMなど効率のいい仕事をするようになった樹木さん。テレビ「七人の孫」で森繁久彌さんとの共演をきっかけに女優へ開眼します。森繁さんは人に教えるタイプではないのですが台本通りではないセリフがすべて生きている、とても魅力的な人でした。

 そして樹木さんは、2004年に乳がんを患います。2013年の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞のスピーチで全身がんを告白し、まわりを驚かせました。がんになってから、夫、内田裕也さんの存在をありがたいと感じるようになったとのことです。

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかといえば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。(中略)そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。
出典:http://futoko.publishers.fm/article/6444/

 がんであることを受けとめることができたのも「人と比べない」価値観が根底にあるから。「なぜ私が」とは思わず「さあ、がんになった。どう生きよう」と思えるのです。小さい頃から自分にフォーカスする習慣がついていれば人と比較することもありません。(北田江美)

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+