「母親として無責任」とまで言われた志村ふくみ。崖っぷちで選んだ「生命をつむぐ仕事」とは

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 今回は、染織で人間国宝に認定、染織一筋に歩み続ける一方で随筆も多く手がけ、凛とした美しい色彩で人々を魅了し続ける志村ふくみさんの、染織にかける情熱と、生命が生み出す色に向き合う心を見つめます。

ワタシのあの頃
離婚を機に専業主婦から染織の道へ。愛する娘をあずけ、飛び込んだ工芸の世界の厳しさ

 2歳で伯母のもとへ養女にいった志村さん。戦火が迫る時代、そんな彼女に大きな影響を与えたのは、5歳年上の兄でした。画家の卵だった兄は、終戦の頃結核に倒れます。命の限りをぶつけるように描いた燃えるような絵は、志村さんの心を強く打ちました。

 志村さんは16歳で機織りに出合います。しかし結婚後は専業主婦へ。その後、夫の不倫が原因で離婚し、娘二人を抱えてシングルマザーとなりました。
 働いて二人の娘を食べさせなければならない決断を迫られたとき、志村さんが選んだのは「染織」の世界でした。

例えば絵を描いたり文章を書いたりするみたいな心の表現という意味の仕事をしたかった。そうしたらもう織物しかなかったんですね。
出典:http://www.tamasaburo.co.jp/kangae/taidan/taidan05.html

 決意をして訪ねた生母は、かつて染織を学んでいました。話をするうちに、若い頃出合った機織りへの情熱に火がつきます。愛する娘を養父母にあずけて生母から染織を学びましたが、工芸の世界は厳しく、「母親として無責任」と周囲からの風当たりは強いものでした。

 母親は夫や子に人生を捧げるべきと考えられていた時代、30歳を超えて工芸を一から学ぶという志村さんの決断は孤独なものだったはずです。それでも貫き通す強さを支えたのは、幼い頃に別れた母の「染織をさせてやりたい」という想いでした。
 一時は離れていても、母から娘へ、そして我が子へ連なる情が胸のうちに熱く燃えていたからこそ、志村さんは単身工芸の世界へ飛び込めたのではないでしょうか。

変わったきっかけ
死に物狂いの努力が切り拓いた工芸の道。生命と向き合い続ける染織で人間国宝に

 染織の世界に飛び込んでから4年、研鑚を続けてきた志村さんの作品は、卓越した色彩世界が高く評価されるようになります。たゆまぬ努力は実を結び、志村さんは日本伝統工芸展で次々に受賞を重ね、1990年には人間国宝に認定されました。

「工芸の仕事はひたすら“運・鈍・根”に尽きる(黒田辰秋からの言葉)」工芸の仕事は鈍い、「鈍」なものですよ。だけどコツコツコツコツ弛まずやる。誰の助けも受けずにやる。
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/tzhosono/68647588.html

 また、随筆作品も多く発表している志村さん。凛とした視線と美しい言葉でつづられた随筆はファンも多く、『一色一生』で大佛次郎賞を受賞しました。

 染織の世界で頂点に立っている志村さんですが、織物、色、そしてそれを染める植物への真摯さは変わりません。
 向き合ってきたものは染料になる植物やカイコからとる糸、そして鉱物から作られる媒染。それはもの言わぬ「モノ」ではありますが、志村さんは「生命あるものを提供してくれる」と語ります。生命と向き合い、知性や感性で〝対話〟することで志村さんの「色」は生み出されます。

どんなときでも私、白はなかったらだめなんです。色と色をつなぐ色なのね。(中略)ものすごく抽象的にいうと、白は「愛しみ」なの。「愛」、「愛しみ」というか……。だって、すべての色をのみ込み、とけ合わせ、それでいて自分自体は何もないのね。
出典:http://www.tamasaburo.co.jp/kangae/taidan/taidan05.html

 絹糸は、カイコの命です。植物も、花を咲かせ実をむすぶ命を捧げて絹糸に色を与えてくれます。
 科学技術に支えられている暮らしはとても機能的で、命の営みとは壁でへだてられているように感じることも多いものです。
 でも、志村さんの言葉は、私たちが壮大な命の営みのサイクルの中で生きていることを、まざまざと思い出させてくれます。生きている命に向き合う時は、思い通りに行かないこともたくさんあります。
 ビジネスも子育ても、相手は人間。命あるからこそ失敗も、思惑をはるかに超えた喜びにも出会えます。生まれたままの白い心を染めていくものは、清濁が混ざっているからこそ美しく、愛おしいのではないでしょうか。

今と、これから
染織に注ぎ続けるあくなき情熱。娘へ、そして日本の若い人々に伝え続ける情感の美

 志村さんは今、かつて染織の世界に飛び込んだことで離ればなれになった娘、洋子さんとともに京都にある工房で精力的に染織を行いながら、随筆や新聞連載などの著作も続けています。
 生母から娘へ、そしてまたその娘へと、三代の女性がつないできた糸は今も脈々と継がれ続けているのです。

 美しいものをつくるのではなく、そうして精神(こころ)こめてつくられたものが美しくなる道程を学ぶのです。その道から外れれば美は訪れないのです。
(娘・洋子さんの言葉)幾度となく糸はもつれたり、切れたりしますが根気よく直していくと、一筋の道が見えてきて、辿るべき方向がわかります。糸が裂になるまでの行程はどこか人の生き方と似ています。
出典:http://shimuranoiro.com/ars/

 また、京都に染織の世界を学ぶ「アルスシムラ」を設立。失われていく日本の伝統工芸の灯を絶やすまいと、後進の教育にも心血を注いでいます。さらに東日本大震災の後、東北の草木の汚染に心を痛め、一歩を踏み出す必要を強く感じています。
 志村さんは「たゆまず一人でコツコツと」半世紀以上の時間を染織に捧げてきました。志村さんの機は「情感」の機。だからこそ彼女が染め、織りあげる布には情がわくと語ります。命に向き合って生きる志村さんの、心のゆらぎが織りなす色彩世界なのです。

だから私、元気でいられるんだと思いますよ。草木から力を頂いているから。その空気を吸って、染めているんですからね。
出典:http://www.ichibankan.com/ja/interview/no009_01.htm

 利便性やコストパフォーマンスが高く評価される現代、仕事にかける時間は短い方が良いと多くの人が感じています。でも、長い時間をかけてこつこつ一つに打ち込み、死にもの狂いで道なき道に自分の足跡を刻み続けることでしか得られない志村さんの「色」は、多くの人の心を強く打ちます。
それは誰の心の奥にもまた、「たゆまず、どんな苦境にも負けず自分だけの色をつむぎ続ける情感の機」があるからかもしれません。
(河野真知子)

キラリと輝く名言

心を熱くして生きなくて何の老があろう。

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+