仕事に愛に懸命に生き、その人生を紡いだ作家、向田邦子。言葉をまとって永遠に愛され続ける生き方とは

このエントリーをはてなブックマークに追加

 今回は、28歳で、初めてテレビの台本を手がけて以来、脚本、エッセイ、小説の執筆など、常に時代の第一線で活躍し続けた女性、向田邦子さんの、家族や人間への深いまなざし、「言葉」に真剣に向き合った彼女の生きざまを見つめます。

ワタシのあの頃
数々の転勤と不倫体験、それら全てが彼女の作品の血となり肉になった

 向田さんは、父の赴任に伴い、小学校の数年間を鹿児島市で過ごしました。その後も日本全国を転々としましたが、高等女学校時代は東京の祖父母の家に下宿し、夏冬の休みだけ親元の仙台に帰省するという生活を送りました。

向田さんはとても高年になって、お父さんの勤務で行った鹿児島などを、本当に短い時間なのに、ふるさとのような気がするって、ちゃんと文章に残していて、やっぱり自分の家族につながりのあるものは、みんな抱きしめて、いとおしんで、その中から、しかし、次の作品のテーマを引き出してきたっていうところがありますね。(作家:澤地久枝さん 談)
http://www.nhk.or.jp/

 また、大人になってからは、いわゆる「不倫」と呼ばれる恋に落ちました。
 20代前半の頃に知り合ったのは、13歳年上の妻子持ちの写真家。出会って10年を経た頃には、その彼が体を悪くして、一人暮らしをしていたので、向田さんは仕事の合間をぬって、彼の食事を用意し、共に食事をとり、仮眠をしたあと仕事に戻るという生活を送っていたのです。

 彼女は、楽しかったことだけではなく、自分自身が傷つき、また相手を傷つけたであろうことも含めて、実体験を作品に昇華させていきました。自分の感情めいたものを、少しずつそぎ落とし、最後に溢れ出てくる言葉を見つけるまでの苦労は並々ならぬものがあったに違いありません。でも、彼女はそのひとつひとつの作業を、女性らしく、愛を込めて丁寧に行っていったのです。

変わったきっかけ
安定の会社員からフリーライターへ。“自分の力で生きていく”ための一歩目を踏み出す

 社会人になってからの最初の仕事は社長秘書でした。退職後、新たに得た映画雑誌編集の仕事のかたわら、コメディ映画の脚本家だった市川三郎さんのもとで脚本を学び、その後フリーライターとして独立しました。

 ラジオドラマ「森繁の重役読本」脚本を皮きりに、テレビドラマの脚本を次々手がけ、『だいこんの花』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などの大ヒット作品を生み出します。

『だいこんの花』は最初は何人かの書き手がいたのに、「自分の代表作にしたいから、私1人に書かせてください」とプロデューサーに直訴して、邦子が単独で書くようになったのです。  
出典:http://hon.bunshun.jp/

 その後、46歳のときの乳癌手術をきっかけに、随筆やエッセイを書き始め、50歳のときには、小説「思い出トランプ」のうち「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞を受賞します。

邦子が全てを失いかけたとき、それは乳がんの発病でしたが、自分の原点はなんだろうと考えて支えになったのも家族の記憶でした。余命いくばくかと宣告される恐怖と戦いながら、エッセイを書き始めたにちがいありません。
出典:http://hon.bunshun.jp/

 向田さんは、どんなに忙しくても料理を作り、骨董屋さんで見つけた好きな皿や小鉢に盛りつけて、ひとりのお膳でも箸置きをちゃんと使って食事をしていました。原稿を書くときに身につける“勝負服”もありました。彼女は、常に「自分らしく」生きることを忘れない人間だったのです。

向田さんの暮らしぶりは、いい意味で大らかで、素敵に生き崩しているといった印象を受けます。たとえば器についてのエッセイで「これはそう悪くないぞ、と思っていたものが、さほどでもない」とわかった後、「手は正直で、洗い方がぞんざいになっている」なんてさらっと書ける。かっこつけないかっこよさ、というのでしょうか。
出典:新潮社「波2003年8月号」より

 向田さんは情熱のおもむくまま、仕事にも愛にも正直に生きました。忙しくても、きちんと食べて仕事をし、買い物をするという、普通の生活も忘れませんでした。だからこそ、なにげない普段の暮しの場面の中にも“音”や“匂い”が表現できたのでしょう。
 
 私たちの共感を呼ぶのは、彼女の生き方とともに、作品が温かい視線で綴られているところにもあると思います。

ワタシの今、そしてこれから
「言葉というカタチ」に魂を宿し、人々の心の中に永遠に生き続ける

 1981年に取材旅行中の飛行機墜落事故で51歳の若さで死去。その後、1983年には、彼女の功績を記念して優れた脚本に対して与えられる「向田邦子賞」が創設されました。

 人々が彼女の作品に惹き付けられる理由はさまざまです。今も、向田邦子さんに関する本が出版されたり、ドラマ化されたりしています。

 妹の和子さんはこう話します。

「向田邦子という人は、どういう仕事をすることを考えていたか?」という地点に立って、「向田邦子だったら、どういうことを考えて仕事を進めていったか」、「イエス、ノーをはっきりしなきゃいけない」と考えながら、邦子の没後の仕事をするスタートラインに立ちました。
出典:http://hon.bunshun.jp/articles/-/438?page=4

 脚本家としては23年間、活字の世界では直木賞からわずか1年あまりしか仕事ができなかった向田さん。しかし、没後30年以上経ても、ここまで愛され続けているというところに彼女の偉大さは充分にみてとれます。ことに現代の女性たちは、彼女が「公私ともに押しつけられることを嫌い、いつも確固たる自分の意思をもって行動していたところ」に、自然と憧れてしまうのではないでしょうか。
 
 向田さんはこれからも女性らしく丁寧に、「言葉というカタチ」に魂を宿しながら、人々の心の中に永く生き続けることでしょう。
(山庭さくら)

キラリと輝く名言

言葉は無料で手に入る最高のアクセサリーである

新たな “視点” で、
昨日よりもちょっといいワタシに。
―――― eyes.+

 

【参考記事】

名言格言集:向田邦子
『向田邦子の恋文』(向田和子著)
クローズアップ現代
直木賞のすべて 余韻と余分
向田和子インタビュー
新潮社 波2003年8月号